国難の時には、島津が動く-2

昭和帝の息のかかった鹿児島体制が果たすべきこの度の責任は、あまりにも大きいようだ。既に吸引力を失っている現体制では、関係者の自己責任として命がけで対応して行く道以外は残されていない。バブル経済以降破綻に向かう日本国体を根本から再建して行く道は、まずは水面下の鹿児島体制の再建以外に道はないようだ。

 

房総上総出身の島津5代目当主が薩摩城主となり、以後続いた鹿児島体制であるが、この度は、親元に帰趨して房総の鹿島体制として再建させ、旧鹿児島体制と連動させる必要があるようだ。もともと鹿島は、香島(かぐしま)とも書き、鹿島と鹿児島は親子関係とも言えるのであり、使命的役割が親元に戻ることを意味しているのです。

 

昭和時代の鹿児島体制の重鎮は、殆ど他界しましたが、大物の重鎮は僅かながら生存されているのです。そろそろ昭和の鹿児島体制に関わっておられた国士の皆様、自らの人生の総決算として未来に残せる国体再建に向けて、命がけで貢献して行くべき時ではないでしょうか。